9.家族の話

借金問題は、1人だけでは、解決できなかったと思います。家族の協力があったからこそ
できたと思います。私にとって借金が発覚したきっかけは、25歳の時、父親が「俺では、
もう、難しい、後はお前がやってくれ。」と言った言葉だったんですね。当時、私は
サラリーマンでSEをやってましたが、ただならぬ何かを感じたので、実家に戻って、調べたところ
30億円以上の借金があるのが、発覚しました。ある意味、父親の発言は無責任に聞こえてしまいますが、
全権を私に与えてくれたので、全てがうまくいったとも言えます。
私の母親は4姉妹の長女で、父親はますおさんとして、うちに入ったんですね。私は、
2世代掛かって生まれた初の男の子として、大事に愛情を持って育てられました。
お前が、長男なんだから、家を継ぐんだよと小さい頃から、雰囲気で伝わってきました。
父親は婿ですから、子供ながらにも、家での居づらさがあるのだろうなと漠然とは
感じてました。借金を作ってしまった父親は家族や親戚から、冷たい目で見られたん
だろうと思います。いつだったか、私の結婚話になった時に、結婚できないのは、
あんたのせいじゃないかと父親に当たったことがあります。それ以降、しばらく、
関係が悪化して、私がおそらく家族の接着剤役をやっていたんだと思うのですが、そこが
おかしくなり、家族崩壊寸前まで、何度か行きかけました。そんな時に、祖母が亡くなった
んですが、父親も借金の事が頭をよぎったのか、同時に入院してしまいました。
家族や親族にとっては、逃げたと捉えられたのでしょう。誰一人、お見舞いに行こうと
しませんでした。私は、その時、これ=接着剤をやるのは、自分しかいないと判断して
暇さえあれば、病院通いをして、下着を届けたり、医者の話を聞いたり、父親と話しを
したりしました。そんな私の姿を見たからかもしれませんが、徐々にみんなが協力的に
なってきて、おかげさまで、父親もすぐに退院することができ、このことがきっかけで
父親とも言葉は少なくても、話をするようになってきました。
名刺の裏に尊敬する人のところに、王貞治さん(早実野球部の先輩)、高岡英夫先生
(ゆる体操)、母親を上げさせて頂いてます。愛情を注いでくれた母親がいたからこそ、
借金を返済することができたんだと思います。あとで、聞いた話ですが、当初、
借金返済にあたって家族会議をした時に、最悪、自宅も手放す可能性があるから、
覚悟だけはしておいて欲しいとみんなに伝えました。その時、母親は気丈に振る舞って
いましたが、おじさんから、あの時はうちに駆け込んできて、自宅が無くなってしまうと、
泣き崩れたらしいです。その話を聞いてほんと、自宅だけでも守れてよかったなと思いました。
自分が今ここに存在するのも両親・ご先祖様のお陰だと思いますので、感謝してます。
父ちゃん、母ちゃんありがとう。
当時、私は神頼みをする人を馬鹿にしてました。そんなことやったって、無駄だし、神様が
都合の良いことだけ聞いてくれる分けないじゃんと。が、いつのまにか、自分でやっていました。
毎日、ご先祖様に「今日もお願いします。」とお線香を上げ、月初には、神棚にお供え物を
して、お祈りしてます。自分ができることは、限られているし、すがるわけではないのですが
毎日、ご先祖様とコミュニケーションをとるようにしました。今でも、夢にじーちゃんや
ばーちゃんがあまり、しゃべらないけど出てくることがあります。
この一連の騒動では、きっと、ご先祖様が守っていてくれていたんだと思います。